[Blog] あの日あの時あの場所で VOL.1 – at Northshore 2019

 

 

人は常に成長を欲しがる。サーファーなら尚更だ。時間は進む。時代の展開が早すぎる気もする。逆に、物が溢れれば溢れるほど生き方はとてもシンプルになる。
過去との付き合い方は、培った経験値を 必要な場面で 判断材料として使う時だけだ。それは図書館にある棚のあの辺にあったあの本を 探すイメージのように。経験して覚えた事はより確実性が高く、本の題名は忘れても筆者はすぐに思い浮かぶ。筆者は自分である。
むやみに過去は振り返らない。常に前を見て昨日より一歩、足元を見てSTAY、大きなSETが入りなんとかDUCK DIVEをしても後退はするものだ。自然の力には敵わない。サーフィンも、生き方も、当然のように似ている気がする。か、それが人生そのものなのか、一部の中毒者には理解ができるだろう。
今年のHAWAIIを語る事に気は進まなかった。単純に言葉にならないくらいの神秘的な日々だったからだ。言ってしまったら何かが薄れてしまう、守ろうとする義務感が働いたのか、それより次のテーマにすでに向かっているところだ。日本に戻ってからは、自分を取り巻くバイブレーション(第六感で感じる波動)が見事にリンクしていく出来事が起こり続けている。しかもそれは高い次元で起きている事に、数年HAWAIIで過ごした経験の貴重さに気付き、行く意味の大切さを改めて感じている。あの日のあの時自分はどこに…   HAWAIIは自分自身と向き合う大切さを基準装備しなければならない。その中での生活は、感覚が研ぎ澄まされまさに神秘的に近い。行くか行かないか、もちろんSTAYも選ぶ事ができる。そんな3択しかないシンプルな生活は、シンプルに人と出会い、必然的に共有する時間が生まれてくる。ある意味宇宙人同士の出来事だ。お互い引き寄せ合っている。出来事が起きた事に対して、後ほどどう自分が思い、どう生かすかという分析できる権利を与えてくれる。なぜならすべて必然的に起きている出来事だからだ。ひとりのサーファーとして生活は尊重され、仲が良くても他人でも強要という言葉は存在しない。言わば自分自身に責任があるという解釈に繋がる。もちろん会話はテレパシーで送られる。偶然遭遇したことに驚きはない。必然的なので後ほどボディジャブの様に効いてくる。寝る前にまたどういう意味だったんだ…再確認できる権利を与えてくれる。それらはその瞬間にいなければ始まらないことだ。    続く

写真は最終日の夜、夕方にサンセットでKEITOと最後のセッションを終え、ハワイの地ビールといえばBIGWAVEでしょう!乾杯はしたが荷物をまとめるには一苦労、ほぼ朝までかかった。KEITOにバディとして頼りになれなかった事も伝え、二人で語り合い、自信へと変わる一言をもらった夜だったような。